熟慮的思考に関する心理学研究結果と技術者育成との関係
技術業界に依存しない技術者にとって大変重要な普遍的スキル。
技術者育成においてこのスキルを意識することは、
企業における技術者育成推進効率を高めるために不可欠です。
技術者の普遍的スキルの根幹を担うのは「論理的思考力」です。
普遍的スキルは5つの要素から構成されますが、
この辺りは以下のような連載等で何度か触れています。
※関連情報
第1回 技術者の普遍的スキルとは何か 日刊工業新聞「機械設計」連載
技術者にとっても重要な論理的思考力について、
興味深い切り口で研究した論文が心理学の科学誌に掲載されました。
本内容と、技術者育成への応用について考えてみたいと思います。
陰謀論信念に影響を与える個人要因に対する熟慮的思考の調整機能の検討
参照した論文は以下のものになります。
Hiroki Ozono etal, The moderating role of reflective thinking on personal factors affecting belief in conspiracy theories,
Applied Cognitive Psychology, 2023
https://doi.org/10.1002/acp.4142
査読前の論文は、日本語で読むことも可能です。
陰謀論信念に影響を与える個人要因に対する熟慮的思考の調整機能の検討
タイトルにもあるように思考力と陰謀論信念の関係を客観的データから迫ったというのが趣旨です。
陰謀論についての概要を知る一例として、
以下のような専門家が書いたものがあります。
※参考情報
上記の査読前の原稿を読むと、主として以下の仮説を検証しようとしたと書かれています。
仮説の内容は、当該原稿の文言を私なりに解釈したものに言い換えています。
仮説1:様々な物事を多角的にとらえ、じっくり考えられる人は、陰謀論を信じにくい
原文:熟慮的思考と陰謀論信念には負の相関がある
仮説2:様々な思考の癖、個々人の環境のうち、陰謀論を信じるということを促す効果が認められる
原文:様々な促進要因と陰謀論信念には正の相関がある
仮説3:何かしらの課題を解決するためにじっくり考えられる人ほど、
仮説2で述べた陰謀論を信じるという促進を抑制する効果がある。
原文:仮説2によって支持された促進要因については、課題遂行成績に基づく熟慮的思考が高いほど、
陰謀論信念に対する促進要因効果は弱くなる。
仮説4:色々なことをじっくり考えられると自認している人ほど、陰謀論を信じるという考え方が強くなる。
原文:仮説2によって支持された促進要因については、自己報告に基づく熟慮的思考が高いほど、
陰謀論信念に対する促進要因効果は強くなる。
※仮説原文/参照URL
https://osf.io/preprints/psyarxiv/vgf6p/
主として捉えるべきは、反射的に答えを出すのではなく、
じっくりと考え、正解を導き出すという考え方をするといった思考の方向性や、
経済性、協調性、誠実性等の思考の方向性以外の要因が、
陰謀論を信じるということに対してどのような影響を与えるのかを調べた研究である、
ということだと考えます。
相関関係を調べるのに統計学を活用
今回の評価には相関係数を主とした統計学を用いています。
より具体的にはピアソンの積率相関係数を用いているとのこと。
相関係数というのは正の相関が強いほど1に近づき、
負の相関の場合に-1に近づくものです。
Excelの関数「CORREL」も基本的に同じものです。
相関係数については、当社のもう一つの事業であるFRP(繊維強化プラスチック)技術支援関連で、
その有意性検定について解説をしました。
具体的なやり方は参照情報をご覧いただきたいのですが、
概要だけ説明すると相関係数をr、サンプル数をnとした時、
下式の検定量を算出し、自由度n-2における、t分布の両側確率を求め、
p値を算出します。
この検定の帰無仮説は「母相関係数が0である」ですので、
p値が0.05を下回れば帰無仮説は棄却され、相関係数が有意であるという判断ができます。
技術者であれば是非知っておきたい考え方です。
※参照情報
「 機械設計 」連載 第三十四回 FRP動的疲労試験結果分析の基本となる相関分析と回帰分析概要
改めて参照した査読前論文の表1を見ていただくと、
表中で*が1つ、または2つの相関係数が見られると思います。
具体的な検定方法がご紹介した上記のものと同じかわかりませんが、
相関係数の優位性検定を行っているという点では同じです。
*はp値が0.05未満、**は同0.01未満です。
後者の方が相関係数の優位性を厳しく検定していますが、
p値が低いからと言って積極的に有意性を示しているわけではないことに注意が必要です。
あくまで、相関係数が0であるという仮説を否定しているに過ぎません。
表中で*がついている相関係数を中心に相関係数の「数値」を議論すべき、
という判断が技術者としては重要です。
評価指標となっている熟慮的思考と陰謀論を信じることに相関が認められた
この文献では熟慮的思考というものが、陰謀論を信じる要因になるかを相関係数で調べています。
結果的に、熟慮的思考が低い人ほど陰謀論を信じやすいという結果が示されています。
熟慮性志向については、
・熟慮性テスト(CRT)
・科学的推論テスト(SRS)
・合理性(REI-R)
・開放的思考(AOT)
という4つの評価手法で調べられています。
それぞれについては、例えば以下のような情報をご覧いただくと概要がわかるかと思います。
※参照情報
熟慮性テスト(CRT):認知的熟慮性テストにおける項目透過性と文理志向性の効果
科学的推論テスト(SRS):科学的推論能力テストと大学入試センター試験の比較分析
合理性(REI-R):情報処理スタイル(合理性-直観性)尺度の作成
開放的思考(AOT):行動-状態志向性測定尺度の内的一貫性と妥当性の検討
不安や社会階層等の個人要因は陰謀論を信じやすいという可能性が示された一方、当該要因は熟慮性志向と関係が認められない
経済的不安、社会的孤立などの個人要因は、
熟慮的思考陰謀論を信じやすくする効果がある一方、
熟慮的思考とはあまり関係がないとのこと。
実際に個人要因と熟慮的思考の相関係数を確認すると、
絶対値で0.1を上回るものはほとんどありません。
その一方で、合理性については圧倒的に強い負の相関がみられます。
経済的不安、社会的孤立等は熟慮性や科学的推論に影響を与えない一方、
合理的に物事を考える心の余裕を失わせているのかもしれません。
今回ご紹介した研究結果を技術者育成にどのように応用すべきか考えます。
熟慮的思考と技術者に求められる論理的思考力は共通点がある
最初に感じたのは、技術者の普遍的スキルの中枢である論理的思考力と、
今回の評価で用いられた熟慮的思考の共通点と相違点です。
それぞれについて考えます。
熟慮的思考の中で技術者の論理的思考力と強く関係するのは合理性と開放的思考
今回ご紹介した研究で興味深いのは、
熟慮的思考を4つの軸で評価していることです。
それぞれのテストの評価を見てみると、
熟慮性テストや科学推論はどちらかというと、
それぞれ頭の柔らかさやひらめき、知識の応用力を見ている印象を受けています。
もちろんこれらも技術者にとって必要なものですが、
「技術者の普遍的スキルの土台の上」
に置かれるべきスキルになります。
技術者の普遍的スキルの論理的思考力は、
いかにして客観的視点から技術的事実を丁寧に、
相手に理解できるようにまとめ、伝えられるかです。
これを踏まえ、合理性と開放的思考を考えてみます。
合理性と技術者の論理的思考力の関係
「合理性」というのは直感に頼らずにできるだけ客観的な情報を集めて考える、
といった思考の傾向有無を見るようです。
技術者にとって最も避けたいのは、
主観的思い込みによる暴走です。
大きな発明をするには時に必要な思考ですが、
普遍的スキルのように基本中の基本としてのスキルでは、
まず事実を俯瞰的に捉えられなくてはいけません。
主観的考え方は、企業の技術チームに必須の周りに情報を伝えて連携する技術コミュニケーション、また記録を残して積み重ねようという技術伝承の観点が欠落しています。
ワンマンで製品を生み出すという立場と権限が与えられている技術者はそれでいいですが、
一従業員として勤務する技術者としては問題があります。
ゆくゆくはそのような裁量権を持つことは重要ですが、
まずは技術者の普遍的スキルという前提を一つひとつ押さえられてからなのです。
開放的思考と技術者の論理的思考力の関係
開放的思考を示すAOTはAOFとも呼ばれ、
threat or failure related action orientationの略語とのこと。
これは上記の参照文献に述べられています。
開放的思考を判断するには「とらわれ尺度」という尺度で計測されます。
とらわれ尺度というのは、
一言でいえば気持ちの切り替え力です。
いつまでも後ろ向きな考えをするのではなく、
どのようにして前に進むのかを考える思考の方向性とのこと。
このような思考は「自己制御能力」の向上につながります。
自己制御能力というのは、その名の通り自らを制御して安定化させる力です。
これは技術者の普遍的スキルの論理的思考力で最重要である、
「自らを俯瞰してみる力」
といえます。
様々なデータから構成される技術評価結果を感情を排除して客観的に確認し、
それを自分が色々言いたいことを抑制して、
相手に伝わるように活字化して技術報告書を作成する。
上記の思考において常に働いているのは、
自己制御能力そのものです。
自己制御能力を高めるのは行動志向性と呼ばれるもののようですが、
行動志向性が高い人が示す自己制御過程は
「直観的・自動的」
とのことで、意識して日常的に取り組んで習慣化することが必須であると考えます。
技術者の普遍的スキルが、技術報告書の作成などの地道な作業の繰り返しを通じて習慣化する、
という点とも合致しているといえるでしょう。
まとめ
今回は陰謀論を信じることが、
熟慮的思考によって抑制されるという研究事例を参考に、
技術者の普遍的スキルとの関連について考察しました。
技術者の普遍的スキルで最重要なのは論理的思考力ですが、
この力は熟慮的思考でいうと合理性と開放的思考と強い関係があるといえる、
と現段階では考えています。
普遍的スキルにおける論理的思考力では、
自らを客観的にみる力が重要で、
それが心理学の世界だと自己制御能力と関連付けられたのは興味深い結果でした。
自己制御能力を高める行動志向性は幸福度も高めることがわかっていることから、
技術者のモチベーションを高めるといった側面もあるかもしれません。
技術者の普遍的スキルの本質的な理解には、
今回のような心理学等の学術業界の知見を参照し、
必要に応じて取り入れるといった取り組みが必要だと考えています。
このような専門学的な知見も取り入れながら、
しかし技術者の強みである「技術」を基軸に、
往き続き技術者育成の理論の確立を目指したいと思います。
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